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シーダーシティ()は、アメリカ合衆国ユタ州南東部、アリゾナ州やネバダ州との州境近くにあるアイアン郡に位置する都市である。ソルトレイクシティからは南に250マイル (400 km)、ラスベガスからは北に180マイル (290 km) に位置し、両市を繋ぐ州間高速道路15号線上にある。2010年国勢調査での人口は28,857人だった。市内には南ユタ大学があり、毎年ユタ・シェイクスピア祭、ユタ・サマーゲイムズ、ニール・サイモン・シアター祭などの行事が開催されている。 == 歴史 == シーダーシティのある地域で前史時代に住んだ人類の存在は、北のパロワン・ギャップやフレモント遺跡で、西暦1000年から1300年のものとされる岩絵から明らかになっている。現在の南パイユート族インディアンの祖先は、この地域で1776年にドミネゲス・エスカランテ遠征隊と出遭った。その50年後の1826年、マウンテンマンかつ毛皮交易人のジェデディア・スミスが、ユタからカリフォルニア州に抜ける道を探検してこの地域を通過した。 シーダーシティの町は1851年遅くに、ユタ州のパロワンから来たモルモン開拓者によって設立された。彼等は鉄工所を建設するために派遣されていた。この場所は「フォートシーダー」あるいは「シーダーシティ」と呼ばれ、西10マイル (16 km) の広大な鉄鉱床と、シーダーキャニオン上流10マイルの石炭田と等距離にあったが、土地に多く自生していた樹種から名前が付けられた(実際にはジュニパーの木だったが、シーダー(杉)とされた)。ヘンリー・ラントが率いてきた2つの隊が1851年11月11日のブリザードの日に砦に到着し、それを公式な町の設立日とした。1855年、鉄工所に近く、コール・クリークの氾濫原の外にある新しい場所が、ブリガム・ヤングの提案で設立された。現在のシーダーシティがこの場所にある。シーダーシティは1868年2月18日に法人化された。 鉄工所は1858年に閉鎖されたが、1980年代まで地域で鉄鉱石の採掘が続けられた。シーダーシティを通る鉄道によって、シーダーブレイクス国定公園に加えて、ブライスキャニオン国立公園、ザイオン国立公園、グランドキャニオン国立公園に入る観光の入口としての地位が確立された。シーダーシティはユタ州南西部で観光業、商業開発、教育と芸術の中心であり続けている。 1980年代後半からユタ州南西部の大半と共に急速な成長を遂げている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シーダーシティ (ユタ州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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